幻の「コユキコムギ」

岩手・平泉の農家との契約栽培
日本に3 haあまりしかない「コユキコムギ」を契約栽培で種から育ててもらっています。
旨味と甘みの強いおいしい小麦です

自家製天然酵母

20年越しで繋いでいる
ライサワー種と
オーガニックレーズンから
起こしている天然酵母種です。
パンに酸味を与えないように毎週、新鮮な酵母種を毎週新たに
レーズンからつくっています

ビオワイン

パンと一緒に
ワインも販売しております。
1000円ぐらいから、手頃で、
ナチュラルで、おいしく、
スーパーやコンビニではみかけない、いろんな国のこだわりのワインをご用意しております

ワインレッスン、海外ツアー

毎年10月から翌年3月まで、パンを味わいながら楽しく学ぶワインレッスンを開いています。
夏には海外へも。
主にヨーロッパへパン、ワイナリー、チーズ工房を訪ねるツアーを
主催しています

天然酵母パン屋 ワルン・ロティ

子どものころ、わたしは麦畑で遊んで育ちました。
岩手山を望む麦畑で、父はパンに向く小麦の育種の開発をしていました。


大人になって、東京で、あの岩手の青い麦たちは?
父が毎日、記録をつけていた麦たちは?
と素朴なギモンをもったのです。

それから、わたしのパン焼きが始まりました。
小さかった娘をおんぶして自宅のキッチンでの独学から。

大好きなワインも勉強し、ワイン仲間にパンを食べていただいたり。
そして、2003年、小さなパン屋が自宅の一角ではじまりました。

ひとりで焼いてひとりで売る、
金・土・日限定のちいさなパン屋です。
ひとりひとりのお客さまにご理解をいただきながら続けております。

2008年からは岩手・平泉の農家さんとタイアップ。畑で働く人々の愛情が注がれた
世界で3haしかない幻のコユキコムギでパンを焼いています。

店主・大和田聡子(おおわだ としこ)

パンとワイン屋ワルン・ロティ 主宰(有限会社ワルン・ロティ代表)・きんいろぱん屋&平泉ワイナリー(岩手・平泉)アドバイザー
1963年東京生まれ。小学校より盛岡で育ち盛岡第一高校卒業、最終学歴は茨城大学人文学部心理学専攻。
結婚・出産後、目黒区の洗足の自宅にて、天然酵母&国産小麦のパン屋『ワルン・ロティ』を開業し、2003年よりひとりで営んでいる。
2007年より酒販免許を取得しワインの販売も開始。ワイン、チーズに関して、日本ソムリエ協会認定ソムリエ、チーズプロフェッショナル協会認定チーズプロフェッショナル、ビアテイスターの資格を有し、1999年よりワインレッスン「パンとワインのおいしい夕べ」を主宰し続けている。
「第1回オーストラリア・ワインコンテスト」ワインアドバイザー部門入賞(2000年)、「ドイツワインコンテスト全国4位(2003年)の経験も。花王、JR北海道などの企業「チーズ&ワインアカデミー東京」(2006年閉校により終了)などの専門学校でもパンとワインとチーズの講師を努めてきた。ヒューマンアカデミー「ワインテイスティング講座」、「パンシェルジュ検定2級公式テキスト(実業之日本社)」
「世界のパン図鑑224(平凡社)」「世界の夢のパン屋さん(エクスナレッジ)」監修ほか、週刊漫画サンデー連載「おいしいパンを召し上がれ!」(田中つかさ)のモデルとなる。
 著書に『自宅でパン屋をはじめました』(河出書房新社)、『〜ワイン&チーズとテイスティング術〜おいしいパンのみつけかた』(技術評論社)、『麦畑からお届けするパン屋です』(自然食通信社)「ないないづくしの起業術」(中央新書ラクレ)
「ワインとパンに恋して」(自然食通信社)がある。
2008年度より農事組合法人アグリ平泉に「コユキコムギ」の契約栽培を依頼し,1haから始まった畑は2017年現在3haとなった。2010年2月平泉に開店した「きんいろぱん屋」(経営・農事組合法人アグリ平泉 青木由美子店長)のアドバイザーとしてオープンニングより携り、平泉産100%の「コユキコムギ」「ナンブコムギ」「ユキチカラ」を使ったパンのレシピを開発。地小麦のパンは学校給食に採用され地元や観光客にも好評を得ている。また、2017年よりアグリ平泉経営でスタートした「平泉ワイナリー」のプロデュースに携わっている。
後藤虎男の次女。

父・後藤虎男(ごとう とらお)

大正15年東京生まれ。農学博士。東京大学・農学部を卒業後、東京教育大学、関東東山農業試験場を経て、昭和38年より中国農業試験場(広島)、作物部研究室長として小麦品種育成研究および研究指導にあたり「ウシオコムギ」などの開発に携わった。昭和44年7月より東北農業試験場(現・東北農業研究センター)にて、栽培第二部の研究室長として就任。大・小麦品種育成研究および研究指導にあたり「ハチマンコムギ」の育成また「コユキコムギ」などの小麦新品種開発に従事した。昭和59年より沖縄支所長として熱帯農業研究センターへ、その後、国際協力事業団に勤務しインドネシアの農業研究強化プロの研究管理・指導を務めた。2008年没。